仏教的ターミナルケア − 臨終行儀 −

医療法人ビハーラ藤原胃腸科 理事長 藤原壽則

 
  

 グループホームの重要な課題のひとつはターミナルケアである。お年寄りは確実に衰えてくるが、その生、死の質を高め、最期まで尊厳を持った生を全うできるようなケアが求められている。グループホーム・ルンビニーでは、本人、家族が望めば、ターミナルまでケアをしていきたいと考えている。入居者たちにとってグループホームは「自分の家」だからである。
 当ホームでは開設以来、入居者たちの心の手当てとして、仏教的癒しを導入している。毎週2日、2人の僧侶が訪れて、入居者たちの話に耳を傾け、語り合い、一緒にお勤めをする。初めの頃には入居者の僧侶に対する不信感、拒否なども見られたが、1ヶ月、2ヶ月と時の経過と共に僧侶と入居者たちの間になじみの関係が育ち、今では、入居者たちが僧侶の来る日を楽しみに待っている。
 この度、グループホーム・ルンビニーで最初のターミナル・ケア、看取りを、仏教による臨終行儀の儀式によって行った。以下、その概略を報告する。

 S.K氏 明治43年10月21日生、92歳
 病歴
 約2年前から痴呆症状が出現。夜間の幻覚、徘徊がみられるようになり、老人保健施設のデイサービスを週4回利用していたが、家族による介護が困難になり、平成14年4月4日、グループホーム・ルンビニーに入居する。入居当初は、夜間の独語以外は精神的にも比較的穏やかで、食欲良好、杖歩行であった。入居2ヶ月頃から、戦時中の妄想が時々出現するようになり、夏には食欲の低下がみられ、歩行時のふらつき、転倒もみられ、車椅子利用となる。食事に際しての誤嚥もみられる。妄想出現頻度が頻繁となり、拒食、介護への抵抗、暴力的行為もみられるようになる。これらの症状は、心療内科の医師の診療により、何れも良好にコントロールされている。
 平成15年1月から、2年来の心不全が悪化し、食欲不振著しく、経腸管栄養及び輸液となる。

S.K氏の臨終行儀
出席者 水崎圭二(松山市、法寿院住職)
二神瑞晋(松山市、円通寺住職)
岡田敬道(松山市、多聞院副住職)
藤原壽則(藤原胃腸科院長、かかりつけ医)
相原あや子(グループホーム・ルンビニー管理者)
五藤 恵(グループホーム・ルンビニー計画作成担当者)
ケア・スタッフ、入居者たち

 平成15年1月29日午後7時、S.K.氏がホームの和室(仏間)に移された。午後7時30分、木欄の法衣をまとって、白い帽子をつけた僧侶3人が入室する。
 ホームの仏間は、西日の入る6畳の和室で、左手に五色の幡を持った本尊の薬師如来座像と、日光菩薩、月光菩薩の脇仏が東向きに安置され、仏の前では香が炊かれ、花が飾られ、灯が供えられている。
 3人の僧侶は、それぞれ静かに病者の正面、東、北に座して三礼する。
 大きく病者に語りかけるように不動明真言を繰返し唱える。「ノウマク サマンダ バザラン カン」、「ノウマク サマンダ バザラン カン」、・・。酒水加持にて心と身体を清め、仏が病者を迎えにくる想いを病者に抱かせるように、仏の手に結ばれた五色の幡の一方を病者の右手に持たせる。
 懺悔の文が唱えられ、三歸・三竟・十善戒と、部屋にお経が響き渡る。
 続いて、かかりつけ医で、ホームの代表者が、S.K氏がかつて作った善根を読み、その功徳を讃嘆する。
 「S.K先生、あなたは明治43年10月21日に男性3人の末っ子としてお生まれになり、・・・。O医科大学を卒業後は神戸市民病院に勤務され、戦時中はフィリピンに出征、九死に一生を得て帰国、郷里の広島県福山市にて外科医院を開業し、早朝より深夜まで、ひたすらに地域医療に尽くされました。・・・。 あなたの外科医としての50余年は、人々の苦を除き、楽を与える、まさに慈悲の日々でありました。・・・。 S.K先生、ゆっくりとお休みください」
 般若心経、光明真言は、行儀に列席しているホームのスタッフ、入居者も加わって唱えられた。
 「カンジザイボサツ ギョウジン ハンニャハラミタジ ショウケンゴウン・・・・・」
 この時、それまで全く身動きしなかったS.K氏が本尊に向かって左腕をすっと差し伸べたのである。仏の導きを求めての行為だったのでしょうか。
 「ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブツ、ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブツ、ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブツ、ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブツ、・・・」
 十念が唱えられ、病者は、遥か昔より現在にいたるまで続いてきた迷いの世界を抜け、極楽浄土へ導かれ、往生を得られるものと思われる。

 平成15年2月26日午前6時5分、S.K氏は目を閉じ、静かに呼吸を止めて「永遠の旅路」についた。
 風呂好きだったS.K氏をスタッフが抱いて、ホームでの最期の入浴をさせ、丁寧に清拭をした。
 水崎圭二、二神瑞晋住職が枕経を唱えた後、ホームのスタッフ、入居者仲間たちが1人ずつ色とりどりの花に囲まれたS.K氏に手を合わせ、清水で唇を湿してお別れをした。安らかな、穏やかな旅立ちであった。

 当ホームでは、本人や家族が望めば、ターミナルケア、看取りをも行いたい。生死に関わる心の問題には、宗教が関わることが必要だと考えている。わか国の長い歴史で、常に生や死と関わってきた仏教を導入することにより、生と死をより豊かなものにしたい。
 グループホームでターミナルケアを行う為には、このテーマへの介護スタッフの熱意ある取り組み、在宅医療に熱心なかかりつけ医が必須である。更に、仏教的癒しの導入のためには、ターミナルケアに関わる僧侶の仏教的信念と、更に病者と僧侶との日常的な触れ合いによって育まれる信頼関係が必須である。
 グループホーム・ルンビニーでは、入居者たちの心の手当のための仏教的癒し導入に向けて、スタッフ一同力一杯の努力を積んでいきたい。

 写真1
 写真2
 写真3
 写真4

(写真1) 3人の僧侶による臨終行儀
(写真2) 本尊・薬師如来
(写真3) 五色の幡によって本尊とS.K氏が結ばれる
(写真4) ホームのスタッフ、入居者仲間たちが参加した「お別れ会」
【第2回】
「ありがとう、じっちゃん」
計画作成担当 五藤 恵


 平成14年4月3日、「こんにちは、よろしくお願い致します。」 スペイン製のお洒落な杖をつきながら入居された外科医のKさん。相撲をしていたこともあり、手足がとても大きく力持ち(ジャイアント馬場も真っ青!)。戦争中には軍医として戦地に行かれたとのこと。「空襲警報だ、早く避難しろ!」「爆撃だ!!」あっという間に戦場になり、みんなで避難したこともしばしば・・・。軍歌を歌っては涙する一面もありました。自分に厳しく他人に優しいKさん。誕生会では「ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい!」と必ず万歳三唱で締めくくってくれました。みんなからじっちゃん、じっちゃんと慕われるようになり、いつの間にか家長的存在になりました。
 困った事があると解決するのが家長の役割と思われたのか、何事にも否定的なおばちゃんに対していつも優しく声を掛けてくれました。ある時は庭に、ある時は部屋に、またある時は便所に・・・。「さ〜ち〜こ〜」じっちゃんが呼ぶと眉間にしわが寄っていても笑顔になるおばちゃん。じっちゃんのお陰でおばちゃんは、自分の居場所をみつけることができました。

 夏頃から熱が出たり引いたりの日々が続き、日中ウトウトすることが多くなったじっちゃん。むせることも多くなり、食事を摂るのも困難になりました。「これ食べなはい!ほれっ、あ〜ん。」自分の食事もそこそこにじっちゃんのお世話をするおばちゃん。おばちゃんの言う事と美女に弱いじっちゃんでしたね。「美女がおるよー」と言うと、パッと目を開け、あたりをキョロキョロ。入居者、スタッフだとすぐ目を閉じて反応なし。うちわに貼った叶姉妹を見せ、「ご飯ですよ。食・べ・て・ね。」と言うとしっかり目を開け食べるじっちゃん(叶姉妹にちょっぴり嫉妬!)。この頃から杖歩行も困難になり、介助が必要で車椅子も使用するようになりました。

 夏の終わり、みんなでせせらぎ亭に行きましたね。釣り堀で魚を釣り上げ、満面の笑顔で撮った1枚の写真。また、おばちゃんと楽しそうに話しながら食事をしている顔は、最高でした。

 秋になり一段と体調が悪くなり、ベッドで横になることが多くなりました。が、何とか運動会に参加することができました。車椅子から立ち上がり入場門あたりを歩いてみんなを驚かせましたね。

 冬になると痰が絡むようになり吸引器を使用するようになりました。とろみをつけて食事を勧めるも、むせて咳き込み涙が流れます。「要らない」と食事拒否。とうとうベッドでの生活になりました。点滴をしていても「しなくて良い」と針を自分で抜くこと多々。「もうだめじゃ。」初めて弱気な言葉を聞きました。この時から死を覚悟されていたのでしょう。

 じっちゃんはお風呂が大好きでした。お風呂に入ってもらいたい!気持ちいいと思える時間を少しでも作りたい。Drと相談し、チャンスを待ちました。Goサインがでた日、「お風呂入る?」 じっちゃん、「入るよ〜」と笑顔。3人がかりでの入浴。お湯につかると「ほ〜っ、気持ちいい」とスマイル。「いい湯だな!アハハン!」一緒に歌ってくれました。頬がピンク色になりどことなくふっくら見えて元気な頃のじっちゃんのようでした。
 2月も半ばを過ぎる頃、痩せ細ったじっちゃんは、呼吸をするのも辛そうでした。「息子さんから電話よ」ベッドまで受話器を持っていくと、震える手で握りしめ、話したくても声にならず、鼻息だけしか伝わりません・・・。じっちゃんの目が涙で濡れていました。
 衣類交換していた時のこと、「別れる事は〜」じっちゃんが好きな星影のワルツを口ずさむと「辛い〜け〜ど〜」。声にはなりませんでしたが、はっきりと歌われました。別れを告げられたのでしょうか。次の日、静かに息を引き取られました。
 じっちゃん、お願い。もう一度、もう一度でいいから起きて!目を開けて!お願い・・・・・
 そう思う反面、一生懸命頑張ったじっちゃんに、「もう苦しくないよ、楽になったね」と声を掛ける自分がいました。
 じっちゃんとのお別れ会、全員がじっちゃんにお別れを告げました。92年間の人生の最後をルンビニーで過ごしたじっちゃん。1年足らずだったけどじっちゃんと出会えて本当に良かった。今は、じっちゃんを抱きしめることも、じっちゃんに抱きしめられることも出来ないけど、じっちゃんとの思い出は、ずっとみんなの心の両手に抱いています。


 じっちゃんはいつも「ありがとう」と言ってくれましたね。お礼を言うのは、私たちです。
 「ありがとう、じっちゃん」

 
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