グループホームでの看取り ・・・課題・・・

管理者 相原あや子

 
  2月に92歳の男性Kさんが、ルンビニーで最期を迎えられました。この事は先月のホームページの「ルンビニーだより」「ルンビニースタッフによるリレーエッセイ」に掲載しています。
 3月15日には93歳になったばかりの女性Kさんが亡くなられました。女性Kさんは男性Kさんの場合と違い、亡くなられるつい数日前まではシルバーカーを押して何事もなく過ごされていました。そんなKさんには慢性腎炎に起因する強度の貧血があり、体動時には「フウフウ」と息切れがありました。貧血改善のため院長往診時輸血も数回行っていました。そんな中、急に嘔吐と下痢が出現し、その2日後に帰らぬ人となられたのです。ご家族には症状出現時から院長が病状説明を行い、ご家族はルンビニーでの看取りを希望されました。

 終末が長期か短期かの差はありましたが、男性Kさんの場合でも女性Kさんの場合でも、スタッフの緊張度は非常に高まります。特に女性Kさんの場合、状態の変化が急で、ご本人に対する観察、介護と共に、ご家族に対する配慮も必要です。院長と連携のもと、緊迫した数日間でした。

 ルンビニーでは、ご家族(本当はご本人)が望まれるのであれば、最期まで看させていただく方針です。今回開設以来初めて、続けて2人の方を看取らせていただいて、様々な課題が見えてきました。まずは、ご家族との連携です。ご家族が望まれることは何か、それに対しグループホームでどこまで対応できるのか、ご家族がどこまで終末の介護に関わられるのか等、ご本人の病状や状況の変化に合わせて、常にご家族と話し合っていくことがとても大切です。そうすることによって、ご本人にとっては心安らぐ生の終結につながるでしょうし、ご家族もスタッフも一体となって看取ったという連帯感につながります。

 そしてまた、必要不可欠なのが医療との連携です。ルンビニーは開設者が医師であるということと、看護職が2名いるということで、介護職のスタッフ達は随分心強い思いであったと聞きました。院長が1日に数回ルンビニーに足を運ぶ日もありました。看護職が休日に出てくる日もありました。もちろん電話での報告、指示が頻回に行われたことは言うまでもありません。先日ある新聞に、医療従事者のいないグループホームでの看取りの記事が掲載されていました。「結果的には最後まで一緒に過ごせてよかった。でも職員の精神的負担は大きかった。」と管理者は述べておられます。この記事のグループホームに比べれば医療面では確かに恵まれています。しかし病院とは違います。常時医療職がいるわけではありません。ある若い介護福祉士は「何もかもが初めての私にとって、特に夜勤時は自分一人のため、”もし何かあったら・・・”という不安でいっぱいで、正直精神的にしんどかった。Kさんの居室に頻繁に出入りし、私自身Kさんのことで精一杯になり、他の入居者への対応が十分にできなかったこともある。」と言っています。前述の新聞記事のグループホームでは、夜勤を1人から2人体制にして職員の負担を軽減を図り、途中からはご家族が交代で泊り込んだと記されていました。グループホームの経営状況からして、長期間夜勤者を1ユニットに2人置くことは困難です。このグループホームのように、ご家族の協力を得るのも最期まで看取るための1つの方法かもしれません。また、入院を受け入れる医療機関の確保も必要です。病状によっては病院での治療が必要になってくるかもしれませんし、ご家族の気持ちの変化で入院を希望されるかもしれません。ともかく様々な状況を考えて、対応していく必要があります。

 次に、他の入居者への配慮です。男性Kさんの場合は他の入居者がKさんの居室に頻繁に出入りし、Kさんのことをとても気遣っていました。最後のお別れまでみんなで行い、まさに入居者もスタッフも家族のような気持ちで看取った例です。お見送りした後も’おばちゃん’はじめ入居者の方々の生活は、それかでと変わらなく過ぎていきました。一方、女性のKさんの場合、急なことでもあり、入居者の動揺が危惧され、亡くなられて退去されるときは入院ということにしました。もちろん入居者の方はお別れもないままでした。それは私の判断でそうしたのですが、その判断がどうだったのか、今も心にひっかかっています。先日入居者Nさんが、「Kさんようなりよろか。」と心配されていました。「そうやねえ、ようなりよったらええね。」と返事しつつ、複雑な気持ちでした。同居者の死というものを、高齢者は私が危惧したよりも受容できるのではないか、たとえ一時的に動揺を来たしたとしても・・・・・。グループホームで最期を迎える人と他の入居者との関わりをどうもって行くかも重要な課題です。

 グループホームの歴史自体浅く、ターミナルケアに関してもまだ経験していないホームも多々あると思います。今後情報を共有し、課題を明らかにしていき、グループホームでの看取りの方向性を模索していく必要があると考えます。
【第3回】
「だいじょーびぃ。」
介護スタッフ 福本尚子

 「Kさん、しんどくないですか?」
 「だいじょーびぃ。」と明るい声。

 とても暖かい笑顔が素敵なKさん。ルンビニーが開設して間もない平成14年2月2日に入居されました。Kさんは92歳の女性で、記憶障害や見当識障害といった痴呆症状はあるものの、身の回りのことは自分でだいたいされるしっかりとした方でした。

 日なたぼっこが好きなKさん。暖かい日差しが差し込むと、「あそこぬくそうやな。」と日差しとともに場所を変えて「あー、ぬくうて気持ちええわい。」と幸せそうな笑顔が強く心に残っています。

そんなKさんにいろんなことを教えていただきました。漁港である松山市の三津浜で育ったKさんは魚さばきが上手で、「この魚はどうやって食べたらええの?」とスタッフが聞くと、「これは内臓を取って・・・」と慣れた手つきでさばいてくれました。そして、物知りでユーモアのあるKさん。食事の準備中に味見をお願いすると、「味は大和のつるし柿!」と言いました。みんな何のことやら解らず、キョトンとしていると、「味見せんでもおいしいのはわかっとる。」とKさんの解説によりみんな納得。また、結婚観について話していると、「みかん、きんかん、酒の燗、親のせっかん、子は聞かん、貧乏のもとでは働かん!」 Kさんのお陰で随分物知りになりました。
 
 あと、こんなこともありました。Kさんの入浴中、スタッフが忘れ物を取りに浴室を離れる際、浴槽につかっているKさんに「じっとつかっといて、動かんといてね。」と声をかかけると、「泳ぎよろうわい。」とKさん。このユーモアはKさんならではで、今思い出してもつい吹き出しそうです。また、食後にある入居者さんが、「美味かった」と言うのを聞き、「うしまけた」(馬勝った⇔牛負けた)と返し皆を笑わせたりしていました。

 そんな明るいKさんでしたが、今年に入り、倦怠感が顕著に現れてきました。もともと少食でしたが、食事量も減り、体重も減少していきました。食事量が少ない時はKさんの大好きなおせんべいを出したり、白ごはんにのりを巻き、手に持って食べやすいように手渡したりと工夫していましたが、腎機能も低下していたため、少し歩いたり動いたりすると息切れがし、とても辛そうで、「だいじょーびぃ。」の言葉の代わりに「しんどいわい。」という言葉が聞かれるようになりました。こたつや居室で臥床する事も多くなり、以前のように台所で調理したり、掃除をしたりと家事に参加することもほとんどなくなりました。

 3月13日体調が悪化し、2日後には大勢の家族の方に見守られながら静かに息を引き取られました。「おばさんは苦労したけんな。孫もみんな、面倒みたんよ。」とよく言っていましたが、息子さんや娘さん、お孫さんもよくルンビニーに会いに来られており、本当に家族の方に大切にされているんだなあと感じていました。だからこそKさんは家族の方に見守られながら最期を迎えることができたのだと思います。

 3月17日、Kさんのお葬式に参列しました。家族の方の思いを感じ、そしてもう二度と会えない悲しさから、涙がとめどなく溢れ、涙で言葉にならず、逆に家族の方に励まされてしまいました。Kさんを慕っていたスタッフは家族の方にお願いして、思い出の品をもらい大切に使っています。その品(歯磨きコップや器)を見ると、笑顔で「だいじょ−びぃ。」と言うKさんを思い出します。

「だいじょーびぃ。」いつも心配して声をかけると、明るい声で返ってくる・・・。その「だいじょーびぃ。」の言葉の中には『心配をかけてはいけない』というKさんの思いと、『全てを受け入れて前へ進みなさい、大丈夫だから。』という優しさと励ましが込められていたような気がします。だってKさんの「だいじょーびぃ。」を聞くと、嫌なことも忘れ明るい気持ちになれたのだから。

 今まで歩んだ長い93年という人生、その中で辛いことや楽しいことを経験したからこそ、全てを受け入れる強さがあふれいる最高の笑顔。そして明るく、ユーモアのあるところ。家族を大切にするところ。私もこんなおばあちゃんになりたいと思う。Kさんと出会えて本当に良かった。ありがとう。天国から時々私たちのことも見ていてくださいね。


 
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