もう一度お父さんの「湯の町エレジー」が聞きたい

介護福祉士 真島 彩

 

Mさん(72歳)は平成14年3月にグループホームルンビニーに入居されました。
以来ホームでは、大黒柱的存在で、みんなから”お父さん”と慕われてきたMさんでした。朝、起きた時は必ず「今日は何か楽しいことあるんかな?」と聞かれます。この言葉の通り、楽しい雰囲気を好み、得意の(?)冗談と下ネタでみんなを笑わせてくれるユーモアたっぷり、それでいてやさしい人柄の方でした。定年まで長年大手企業の工場長として勤められていたこともあり、いろいろな行事の司会やあいさつなどは慣れたもの。Mさんのあいさつに感動し、涙される方もいるくらいでした。このようにMさんはみんなにとってなくてはならない大きな、大きな存在だったのです。

  2004年2月、”げほげほ”、食事の時、のどに何かつまっているような咳が目立ち始めました。それ以外には特別変わったところはなかったのですが、念のため藤原医院を受診し、胸部レントゲン撮影をしました。診断は進行した肺ガンで、余命約1年とのこと。
  信じられませんでした。だって私たちの目の前にいるMさんには、いつもと変わらない笑顔と元気な姿があったから…。
  ご家族のご希望により、病院での延命治療は行わず、グループホームでの生活を続ける、つまり最期をホームで看取らせていただくこととなりました。「最期まで笑って楽しく生活したいんよ」、ホームでMさんもそう望んでいるように思えました。

  いつ何が起こってもおかしくない状態にあるMさんに1日1日を穏やかに楽しく自分らしく過ごしてもらいたい…。そのために私たちができることは何か、また今Mさんが何を望み、何を求めているのか…。スタッフ1人1人がMさんの言葉や表情から感じ取り、見出していく日々が始まりました。



  「いっしょにたらんごんごしま♪」、故郷興居島の話をする時が一番うれしそうでした。「えーとこよ。桃やびわがおいしくてねぇ。案内するよ。行ってみるかな!」入居してから口癖のように言われていました。絵の上手なMさんがスケッチBOOKによく描いていたのも、思い出として頭の中にある故郷興居島だったのです。
  7月興居島への日帰り旅行が実現しました。「おぉー懐かしいなぁ。ポンポン船がここから出よったんよ」 「ここらに実家があってなー」など何十年ぶりに帰った故郷に思いは高まるようで、Mさんはいささか興奮気味のようでした。
 
Mさんが描いた故郷・興居島(平成17年3月30日)

  11月には九州へ1泊2日、念願の家族旅行に行かれました。最愛の奥さん、娘さんたちと過ごす久しぶりの家族みずいらずの旅行でした。ホームに帰ってきて少しすると、旅行のことは覚えていませんでしたが、Mさんにとって心地よさのあふれるとても大切な時間を過ごされたのではないでしょうか。


 12月に入ると、重く苦しそうな咳が目立ち始め、横になることが増えてきました。ムセることも多くなり、食事量も減っていきました。しかし、幸いなことにガンによる痛みはないようで、咳をしても本人は「風邪でもひいたんやろか」と苦笑い。「そうかもしれんね。お父さん気をつけてよ」と言葉を返す時、胸がしめつけられるような思いでした。そして改めて思うのでした。”残された日々をMさんらしく豊かに過ごしてもらいたい…”と。

 その後、日常生活の中では、他の入居者さんと花札やトランプを楽しまれたり、大好きなコーヒーを飲みに喫茶店へ行ったり、庭で一番の好物”ビール”を飲んだり…。その日その時の状態をみながら、いろいろな場面作りをしていきました。「○○した時、お父さんすごく喜んだよ!」 「○○食べたとき、食べやすそうでおいしいって言よったよ」 スタッフ1人1人から絶えることのないたくさんの声…。

 「うめーもんじゃ」とコーヒーやビールを飲むこと、十八番の”湯の町エレジー”を唄うこと、生き生きとした表情で冗談を言い、みんなを笑わせてくれること…。今まで普通だと思っていた日常の1つ1つの場面が、とても大切でかけがえのないものだと感じずにはいられませんでした。

 平成17年2月になると、歩行困難となり、声が出にくくなる。食事量もさらに減る。5月にはSPO2が90以下で酸素吸入を開始。本当にいつ何が起こってもおかしくない状態になったのです。
 医師とスタッフで緊急ケースカンファレンスが行われました。Mさんの現在とこれからの状態が説明され、そして最期の時までMさんのよりよい生を目指すため私たちにできることは何か、みんなでいつまでも議論しました。改めてスタッフみんなの気持ちが1つになりました。
 7月熱発、酸素分圧が低下し、苦しそうな状態が続く日々でしたが、落ち着いている時は、思い出のつまったアルバムを見たり、フロアにて興居島のビデオや雑誌を見たり、足浴をしたり、庭へ出てみたり…。いつもMさんのそばには家族さん、スタッフ、入居者さん、誰かが寄り添っていました。

 とても穏やかな表情のMさん。
 きっとそこにはMさんの好む楽しく心地よい空気が流れていたのでは…と私は思います。

 平成17年7月18日、Mさんは静かに息をひきとられました。思い返せば亡くなる数日前から驚くことがいくつかあったのです。自ら体を起こし、積極的に体操に参加したり、冗談を言ったり、カメラを向けるとユニークな顔を作りVサインでポーズを決めたり…。最期まで私たちを笑顔にさせてくれたMさんでした。「最期までお父さんらしかったねぇ」とスタッフみんな涙と笑いにつつまれました。
 
 

−お父さんへ−

 お父さん、お父さんらしい生をまっとうできたでしょうか。
 そのお手伝いを私たちはさせて頂いたけれど、お父さんの願いや可能性を大切にできていたでしょうか。
 私たちはお父さんと一緒に過ごした日々にとても感謝しています。最期までその人らしく生きることを支えるということは、決して簡単なことではないけれど、1日1日お父さんらしく、楽しく、一生懸命に生きる姿を見て、希望や勇気をもらい、たくさんのことを感じたり考えたりしながら、仕事に取り組むことができました。
 きっと天国でもお花のマイクを片手に、十八番の「湯の町エレジー」を唄ったり、冗談を言ってみんなを笑わせたり、ビールを飲んだりして、楽しく穏やかな日々を過ごしているんでしょうね。くれぐれも飲みすぎないようにしてくださいね。

 ありがとう、お父さん。

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