先生!そんなにがんばらなくてもいいよ


介護職員 大萩 加藤

 平成16年7月酷暑の中、杖をつきながら気品のあるおしゃれな老婦人が入居されました。Oさんとの素敵な出会いはそんな印象から始まりました。すぐに「おばあちゃま」、「先生」とみんなから慕われました。お茶、お花をたしなみ、また、ご家族に対して接する態度、気配りは心温かく、表情はいつもキラキラ輝いていました。ことのほか、お茶は、入居前に茶道の家元(宗淳先生)をされており、大勢のお弟子さんを抱えられ、手厳しい指導でご活躍されていたと聞いておりました。ルンビニーにおいても、そのお手前を何度も披露して頂きましたが、姿勢は背筋はピーンと伸び、なによりも表情が真剣そのものでした。
行事にもよく参加され、おもちつきでのねじりはちまき姿で杵を肩にかけガッツポーズをしたスナップは最高でしたね。いろいろな場面が思い出されます。娘さんへ毎日のように一生懸命に手紙を書いていた姿、とても信心深く仏前で手を合わせ般若心経を唱える姿、大好物のお寿司を頬張って食べる姿、マスクをして食器拭きをしている姿などいっぱいありました。私が一番好きだったのは、リクライニングチェアに座って会話をしている時、「おばあちゃま、先生」の呼びかけに、低いダミ声で「ハイ」と言って優しい笑顔で答えられる時でした。

 実はOさんに詫びなければならないことがいっぱいあります。おもちつきの時、ねじりはちまきをしたのは私です。娘さんから贈られてきた高級なお菓子をつまみ食いしたのも私たちです。そして、経口栄養剤の飲み込みが悪い時、唇の下をグイグイと押し上げ、無理やり飲んでいただいたのも私の仕業です。
 平成17年11月ころから頻回に顎が外れ、うまく入らない時もありさぞかし痛かったでしょう。寝たきりになって2ヶ月あまり、最後まで一生懸命明るくそしておしゃれに生きようとがんばりましたが、平成18年9月28日、17時45分、お嫁さんや多くのスタッフに見守られながら旅立ちました。「先生そんなにがんばらなくていいよ」看取りの際、いつも心の中でそう叫びます。病院とは違って、限られたケアしかできなかったと思いますが、告別式の後、息子さんから「ルンビニーで母を看取ってもらってよかったです。」とありがたいお言葉をいただいた時、思わず涙があふれました。素敵な出会いから2年2ヶ月、たくさんの感動を与えてくださった先生、お別れはつらかったですが、あの優しい笑顔はいつまでも心に残ります。

 母の名前は、「キヨ子」、「淳子」「宗淳」「蘭山」・・・もう一つお煎茶の茶名もあったけど、思い出せません。嫁いでみると、いつも大勢のお弟子さんに囲まれ、華やかな「淳子」さん、「宋淳」先生、「蘭山」「??」先生でした。
  しかし、いつの頃からか、私は「キヨ子」さんという聞き慣れない名前の入った健康保険証をもって、日赤、県立中央病院、市民病院、済生会、ベテル病院etcへ日参する毎日となりました。結構付き添いが必要で、夫が泊まり込みながら仕事に出かけていました。横浜に住む姉も入院の度に飛行機で帰省し、付き添ってくれました。孫たちも「おばあちゃま」大好きで、最後まで訪ねてくれました。
  最期をルンビニーで看取って頂きました。ルンビニーでの二年間は、母にとっても私にとっても、久々ののどかな時間でした。こんな毎日がいつまで続くのだろう・・・と思いながら、踊り場に出て、母と二人庭の菩提樹を眺め、静かなひとときを過ごしたものです。
  老いと死に寄り添うことに、どれだけエネルギーが必要か、初めて認識した日々でした。藤原先生始め、職員の皆様に励まされて、静かに母を見送れましたこと、心から感謝申し上げております。
合掌

 

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