Kさんとの思い出

グループホーム・アショカ 介護職員 中谷 唯

 私がKさんと出会ったのは、今から約2年前、平成20年12月1日のことでした。私がアショカで働くようになった初日のことです。みなさん同じだとは思いますが、新しい職場での初日というのは緊張や不安でいっぱいで、何をどうしていいのか分からないまま、ただ先輩のスタッフについて必死でメモを取っていた時のことでした。Kさんはフロアテーブルにどっしりと座っておられ、スタッフに私のことを紹介してもらった時、満面の笑顔で笑っていました。たったそれだけのことだったのですが、緊張で張り詰めていた私にはKさんの笑顔が「大丈夫だよ。これから一緒に頑張っていこう。」と言ってくださった気がして、落ち着いた気分になり、救われた気がしました。その後私はKさんの担当をさせていただくこととなり、親しく関わっていくこととなるのです。

 Kさんは長年書道の先生をしていらっしゃった方で、県内の様々な高校で教えてこられたそうです。アショカにも何人かのお弟子さんが会いに来られ、「先生、先生」ととてもKさんを慕われていた様子でした。アショカや藤原胃腸科医院にもKさんの作品が掲示されており、とても素晴らしい作品で、私はただただ関心するばかりでした。グループホームに入居してからKさんは日常の生活においてはスタッフの介護が必要な部分もありましたが、字を書くということに関しては、体が覚えてらっしゃったのか、えんぴつや筆を持っていただくとしっかりと文字を書かれ、満面の笑顔で書き上げた書を眺めていたものです。

 Kさんといえば奥様との仲の良さは素晴らしものでした。奥様は頻繁にアショカを訪問してくださり、Kさんと一緒に食事をされたり、本を読まれたり、ほとんどの行事にも参加していただきました。Kさんも奥様が来られるとやわらかい表情になられ、とても嬉しい様子でした。私をはじめアショカのスタッフの中では、まさしく理想の夫婦像でした。私も結婚しているのですが、将来はこんな夫婦になりたいと思っています。

 そんなKさんでしたが、今年の春頃から少しずつ食事中にむせ込むことが多くなり、食事を充分に摂られることが困難になってきました。最初は食事の形態を変えて(刻み食、ミキサー食)食べていただいていましたが、それでもなかなか食事を摂ることが難しくなってこられ、誤嚥の危険性が高いため、Dr、奥様とも相談し点滴を行うようになりました。Kさんの調子の良い時には少量ずつですが、口からの摂取と点滴の両方でどうにかKさんに水分、栄養を摂って元気になってもらおうとしてきましたが徐々にKさんの体力は低下してこられ、ベッド上での生活が続きました。

 Kさんとのお別れは、8月9日の深夜のことでした。穏やかな顔で息を引き取られました。スタッフは死後入浴を行い、入居者、スタッフ全員で見送りました。今になって思うとKさんに対してもっといろいろな支援、関わりを持つことができたのではないか、あの時こういうことをしておけば、Kさんにとって良かったのではないかという様々な思いがあります。特に私は出身が宇和島でKさんも宇和島の高校で教鞭をとっていたことがあり、宇和島の地をとても気に入られていたと奥様から聞いたことがあって、Kさんがまだお元気な時に奥様とKさんと私との3人でいつか宇和島に行こうと約束したことがあったのですが、その約束を果たせなかったことが残念で、後悔しています。

 少人数の生活の場であるグループホームではスタッフと入居者の方とのかかわりが非常に密で大切なものであると考えています。しかし高齢者である入居者さんはいつか体力が低下し、昔はできていたことができなくなってきます。そのような時になるとどうしても身体的に制限ができてしまい、本人も家族もスタッフも思うようなことはできなくなってしまいます。そうした時に後悔することのないよう、その時その時を大切にした支援、関わりを行っていくことを常に心掛けておきたいと強く思いました。

 Kさん、今頃は天国で大好きな奥様のことを思いながら、大好きな書道に打ち込んでいることと思います。正直Kさんの満面の笑顔が見られなくなったことと奥様と一緒にいる時の素敵な様子がみられなくなったことに寂しさはありましが、元気に入居者さんたちとの生活の日々を送っています。いつか私がそちらに行った際にはぜひ書道を教えてください。その時Kさんに怒られないよう汚い字をできるだけきれいに書けるようにしておきます。

 最後になりましたが、Kさんと一緒に最後まで過ごせたことはとても幸せでとても勉強になりました。
ありがとうございました。

 
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