お母さんありがとう

グループホーム ルンビニー ご家族 JN様

 3月13日、母が亡くなったという知らせを松山に住む弟からの電話で聞いたのは東北関東地方を襲った11日の未曾有の大地震の2日後の真夜中、1時20分でした。

 千葉に住む私は生まれて初めて体験した震度6のものすごい地震と何度も揺れる余震に前日は孫と二人きりで一睡も出来ず、不安の中、自宅に帰り枕元に貴重品を置き洋服を着たままいつでも逃げられる準備をして寝床につきウトウトしはじめた時のことでした。

 電話は悪い冗談にしては遅すぎる時間、一体なんだろう?と電話にでると弟が涙声で「母さんが死んだよ」と言うではありませんか。
 私の心に激震が走ったという感じでした。
 落ち着いて!落ち着いて!と自分に言い聞かせて、大急ぎで帰り支度をして羽田空港に急ぎました。久しぶりの再会がこんなことになるなんて・・・

 3月10日にルンビニーのスタッフの木下さんからお電話で「お母さんはお変わりありませんよ」と言って頂けたばかりでした。指をなめるピチャピチャとした音が聞こえてきて笑いながら安心して電話を切ったので亡くなったなんて信じられませんでした。
 母は子ども達に何も言わず最期を見せず逝ってしまいました。これは残された子ども達への母の最後の優しさだったのでしょうか。

 10年以上前、母に認知症らしき症状がみられ、二人暮らしの父に負担がかかり始めた頃、心配して帰省した私と弟夫婦が母を連れて、これから先のことを考えて8か所くらいの施設を見学してまわったことがありました。
 その頃にその中の1つだったルンビニーから後日連絡を頂き、お坊さんがお見えになる日に母と二人で訪問をさせて頂くことになったのです。
 その日、母は入居されている皆さんと一緒にお経をあげ心が落ち着いたのか初めて「ここが一番いいね」と私に言ったのです。

 それから良くなったり悪くなったりを自宅で繰り返し、何年か後についに脳梗塞で倒れ入院することになってしまいました。
 慌てて千葉から帰って来た私に待っていたのは母の看病と父の世話と次の病院探しとその次の受け入れてもらう施設探しでした。次の病院探しも大変でしたが、最後の施設探しはいろいろ考えもあってもっと大変でした。困り果てていた時にルンビニーから入居を引き受けてくれるというお電話を頂いたのです。
 涙が出る程有り難く、嬉しくて嬉しくてその時の気持ちは今でも忘れられません。

 母が住むことになったルンビニーは「ここが一番いいね」と言った場所でその言葉通りだったのです。
 温かいスタッフの皆さんに見守られて、脳梗塞の後遺症の残る母が人間らしさをとりもどし、顔の色艶も良くなり、身体も回復してきて会話も出来るようになりました。家族がヒヤヒヤする様な事も言ったりするまでになったのです。帰省する度、この回復には驚きました。スタッフの皆さんが入居している人に話しかける声や笑い声が心地よく聞こえてきたり、音楽が流れている日もあれば、お料理の美味しそうな匂いが部屋まで漂ってくる時もありました。
 父が訪れた時は二人は誰にも邪魔されず(?)一緒にテレビを観たり話をしたり、時にはケンカをしたり、家のような家以上のようなゆったりとした時間を過ごさせてもらっていたようです。

 春のお花見、夏の盆踊り、秋の菊花展等いろんな行事に家族一緒に参加させて頂いて楽しかった思い出をたくさん作って頂きました。亡くなってしまった今は楽しい思い出ばかりが浮かんできます。

 母の眠るような穏やかな顔はそれを物語るようで本当に本当に安堵致しました。これは藤原先生やスタッフの皆さんが6年間の長きに渡り、心から愛情を持って支えて下さったお蔭だと心から感謝致しております。
 「皆様、大変お世話になり有難うございました」

 そして最後に「最期まで優しかったお母さん、あなたの娘で幸せでした。ありがとうございました。」

 
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