母の笑顔

西山 さえ子

 母が、ルンビニーの先生やスタッフの方々に看取られながら、92歳の人生を全うしてから半年が過ぎました。遠く離れて生活している私にとって、母は今もルンビニーで生活している錯覚に陥る事があります。思い起こせば、母の一生はどうだったのだろうと多々思うことがありました。私が12歳のときに、そのときはもう身障者であった父が、5歳から18歳の6人の子供を残して急死してから、以前よりもっと苦労が多い人生が始まりました。大黒柱の男になり、母親になり、働いて働いての日々の中で子供を育てるという生活。土木など男の人に混じっての力仕事、耕運機のない時代すべて身ひとつで米を作り、麦を作り、野菜を作り、みかんもぎの出稼ぎ、はたを織り、めったに母の寝姿を見ることもない中で、それでも私には愚痴ひとつ言わない人生だったように思います。体を壊して病院に行っても、逃げ帰ってきたこともありました。決して学識もなく、楽しみを作るゆとりもない中で、それでも働いているのが一番好きと常々話していた母。追い打ちをかけるように、息子2人、娘1人と3人の子供に先立たれるという、つらい思いまでしなければならなかった母。

 5年前一緒に住んでいた娘を無くしたときはさすがに気丈な母も、体を壊して入院。その後、弟の知り合いの紹介でルンビニーに入所できることになりました。長い間ひとりで自分の思うように生きてきた母にとって、共同生活ができるのか心配でした。が、まず一番有り難かったのは同じ敷地内に畑があった事でした、母は土を触っているのが至上の楽しみでした。野菜を作り他人に分けて喜んでもらうのが楽しみでした、スタッフの方によれば、常に母の姿は畑にあったとか。私が会いに行くとまず畑に連れて行き、一つ一つの野菜の説明を自慢げにするときは本当に嬉しそうでした。どうなるか心配していた弟夫婦が、少しづつルンビニーの生活になじんでいく母のことを見守ってくれ、スタッフの優しさに触れる日々を過ごす中で笑顔を浮かべるようになっていきました。離れている私にもインターネットで見え、義妹の話の中で聞く様子に、有り難く心が軽くなる思いでした。今までなかった誕生会で初めてのローソク消し、買い物ツアー、季節のお出かけ、そしてスタッフの心のこもった行事、働くことばかりの母にとって初体験の連続。とにかくきれいな物が好きで、食べる物など他人に分けるのが大好きな母に、義妹はずいぶんハラハラ。スタッフの方を困らせたことも多くあったことと思います。洗濯物たたみは私の仕事と、手伝う私に嬉しそうにたたみ方を指導した母、スタッフの方、入居者さんの情報を教えてくれた母、たくさんの写真の説明をした母、でも時々食事を残して悪いとしょげる母。私の子供のころには見られなかったルンビニーでの生活の中で笑顔がたくさん見られるようになった母。

 今、母を想うとき、いつもあの笑顔で答えてくれます。すべてがルンビニーでのやさしさの中で作られていった笑顔だと確信しております。近くで常に見守っていてくれた弟や義妹の気遣いも、離れて何もできなかった私にとって感謝の一言です。

 母にとって、そして私たち子供にとって、4年間のルンビニーの生活は幸せでした。ルンビニーの先生、スタッフの方々、母に笑顔をくださった事、本当にありがとうございました。

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