アショカの桜

グループホーム アショカ 岡本将宗

みなさんはアショカの庭に桜の木があるのはご存知でしょうか? 何本かある桜の中で一足先に鮮やかなピンク色を付ける桜があります。それが「陽光」という種類の桜です。今年も色鮮やかなピンク色の花を咲かせています。

この桜は前理事長がアショカを立ち上げる時に知人から頂いた桜だと聞いています。アショカは今年で開設から14回目の春を迎えます。この陽光桜も14回目の開花です。この桜がアショカの春の訪れを教えてくれるのと同時に、ご入居者に季節の確認と心の安らぎを与えてくれます。

この「陽光」には知られざるエピソードがありますのでご紹介します。

高岡正明氏は、1940年(昭和15年)から青年学校(愛媛県)で教鞭をとっていました。
戦争開戦で、村の若者は次々と戦場に駆り出された、
「日本は強い国だ、絶対に負けない国だ」と言い聞かせ、
数百名の教え子の出征を見送り「絶対に負けない」
高岡正明氏は心からそう信じていたそうです。
1945年(昭和20年)終戦。
戦争中もそして戦後も教え子たちの戦死の知らせが次々と届いた。
「私はなんということを生徒たちに話してきたのだろう!」彼は落胆と自責の念で胸が張り裂けんばかりだった。
泣きながら毎日自分を責めて暮らす日々が続いた。
あのきれいに咲いたさくらの下で記念写真を撮った生徒の一人一人の面影を思い出して、できるなら教え子一人一人の亡くなった地を訪ね、供養をして歩きたい、そんな思いにかられたこともあったそうです。
終戦後、青年学校もなくなり高岡氏は、狭い畑を耕しながら細々と暮らしを続けていたそうです。
そんなある日、彼が青年学校の跡地を訪ねた折、ふと見上げると、思い出の校庭にさくらが満開に咲いているのを見て、当時の教え子たちとの思い出が次から次へと脳裏をよぎったそうです。
彼はその時決心し、「二度と戦争のない平和な世界は自分たちの手でつくらなければならない。
そのためには生徒一人一人の命の証であり平和の象徴でもあるさくらをつくり、世界に広めてゆくことが自分の残された人生の最大の仕事だと考え、世界を視野に、どこにでも適応できる桜を開発する必要がある。」
その後の彼の執念には凄まじいものがあった。
私財を投げ出し、新しいさくらをつくるため日本中を尋ね歩く日々が始まった。
尋ねた土地から色々な品種のさくらが自宅に届けられた。
朝から晩まで毎日々文字通りのさくら、さくらの日々が続き、失敗を繰り返しながら、品種改良に没頭し、20数年が経過、ようやく病気にも強く、厳しい気候にも耐えうることを発見、この時にようやく今までにみたこともない大輪で紅色の強い丈夫な品種が誕生し、新しいさくらとして注目されるようになりました。

故高岡正明氏が開発された「陽光桜」は世界中で平和のシンボルとして植樹が行われ人々の心を照らし続けている。

NHK「こころを照らす桜」より引用

この物語は映画にもなっているみたいなので是非探してみてください。

今年もアショカの庭に満開の桜が咲いています。毎日ご入居者の皆様と楽しんでいます。

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