【第百八十四話】 戌年ですなぁ・・・

法寿院 水崎圭二

戌(いぬ)は、十二支の11番目。戌の刻とは、夜の8時のこと。方位では、西北西をさす。

この戌という字、まったく犬には関係がない。日本では。十二支にしか使われていない。「犬」という字は、象形文字で、耳を立てた犬の形を表している。大についている点は、耳のことで、ケンケンと鳴くことから、ケンと読むようになったといわれておる。この字が、犭(けものへん)に変化する。犬をもとにして、犬の種類や犬に似た獣、犬の状態や野性的な特徴、行為に関する漢字となっていった。「狗(いぬ)」という字は、犭に句と書く。小さく曲がったものを「句」という。言葉や文章を区切るかぎかっこや句点のことで、釣り針のことを「釣」というように、「狗」とは、もともとせまく区切った小屋に入れられて、丸く小さく身体を曲げた子犬のことを表した。それが、かわいい飼い犬という意味になっていった。中国では、狗という字は、ろくな熟語に使われない。こそ泥のことを狗盗といい、悪者の手下を走狗という。羊頭狗肉とは、羊の看板を上げながら、実際には犬の肉と偽ってごまかすことで、他にも罵りの言葉などにたくさん使われている。こうしたことによって、「犬」に関することわざや格言には、いい意味のものが少なく、ネガティブなものが多いんじゃな。

犬も歩けば棒に当たるとは、でしゃばると思わぬ災難に遭うことで、犬に論語、犬に念仏、犬に小判とか、無駄なこととか、意味の通じないこととかに、使われるこれらの言葉は、他の動物にもあてはまることじゃが、犬が一番多い。仲の悪いたとえでは、犬と猿。弱い犬は遠くから吠えかかることから、臆病者が蔭で虚勢をはり、人の悪口を言うことのたとえを犬の遠吠えという。犬の岡吠え(遠吠えのこと)不幸の知らせという。また、犬が夜、遠吠えすると火事になる。むだに費やすことのたとえでは、犬に蒲焼きを食わすというのがある。犬が西向きゃ尾は東とは、当たり前のことをいうのだか、犬の尾を喰うて回るとは、いくらあせっても思うようにできない、苦労が多いわりに報われないことをいう。しっぽ巻いて逃げるとは、そのままの意で臆病者ののことをいう。 朝起きて顔も洗わず食事したりする者のことを犬のようというんじゃ。

あまり悪いことばかり書いては犬がかわいそうじゃ。三日飼えば三年恩を忘れぬ、という通り犬は恩義を忘れない。犬馬の心とは、臣下として犬馬の如く主君の意のままに仕え、忠義を尽くそうとする心である。古くから戌の日の腹帯は安産祈願の第一じゃ。イギリスのことわざに、子どもが産まれたら犬を飼いなさい、というのがある。

○子どもが赤ん坊の時、子どもの良き守り手となるでしょう。

○子どもが幼年期の時、子どもの良き遊び相手となるでしょう。

○子どもが少年期の時、子どもの良き理解者となるでしょう。

○そして子どもが青年になった時、自らの死をもって子どもに命の尊さを教えるでしょう。誰しも飼い犬が死んで、涙した経験があるのではないだろうかのう・・・